6/29(月)
・ぎい~~~ッ!!!!(仕事でおぞましいhtmlを100本くらい直したため奇声を上げている)
7/1(水)
・ツイステのイベントストーリー『Lost in the book with Baymax』を第1章・第2章を読む。めっっっっちゃ良い~~~。『大都市ロボット・ファイト』の時点で「妙だな……サンフランソウキョウではロボット・ファイトは違法のはず……」と思っていたが、今回の舞台はサンフランソウキョウ……ではございません。開始即教えてくれて本当に親切だな。サンフランソウキョウはこんなにベマベマした形じゃないので……。『Lost in the book with』シリーズって基本「ここは原作のどの時系列なんだ?」とかじゃない独立した時系列と場所なんだということがようやく飲み込めてきた。『殿さまとスティッチ』方式というわけね……!『殿さまとスティッチ』で検索したところ枢やな先生が『殿さまとスティッチ』を読んでいた形跡が出てきたけど、『Lost in the book with』シリーズ立ち上げ時に『殿さまとスティッチ』を引き合いに出して「これがいけたんだからやれますって」とプレゼンしたのではないかと思うことは、想像力がたくましすぎるだろうか。
・シルバーくんとカリムくんという光の二人がSave the catしてベイマックスが出てくるという展開自体が、ベイマックスの本質であり、この二人の本質であり、私はそうやって本質に切り込んでいく話が大好きなので、もうこのイベストが大好きになってしまった。誰かのために身を呈してしまうのがカリムくんであり、誰かのために思わず体が動いてしまうのがシルバーくんであり、そしてまるで火事の中飛び込んでいったタダシのようなヒーローである二人を助けるのが、大丈夫じゃなくても大丈夫って言う二人の心と身体を守ってくれるのが、ベイマックスなのだ。
・ベイマックスザシリーズに描かれる人々はちょっと皮肉っぽくてエキセントリックで、誰もタダシではない。ヒロはルールを破ることに躊躇いがなく、時として手段を選ばず、映画では復讐鬼であり、タダシのようなヒーローではない。でもヒロはヒーロー活動をすることに己の力を使うのだ、タダシが最期まで誰かを助けようとしていたから。タダシのような人がタダシのようなやり方で誰かを助けようとすると時としてうっかり死ぬ。しなくてももしかすると死ぬ。そんなタダシのような人たちを死なせないために、ベイマックスとビッグヒーロー6はテックを身に纏って悪党と戦い、人を救うのだ。ベイマックスの本質とは、タダシが作った柔らかなケアと、ヒロが作ったカチカチのパワーとの二面性なのだ。イベスト終わったらベマザシとベ!とベ&モチのプレゼン記事を書こうと思っているので、この辺の文章一部重複するかもしれません。
・ところで、『Lost in the book with』シリーズが独立時系列であるなら、『Lost in the book with Star Butterfly』でお行儀の悪いプリンセスの矯正施設に入れられたプリンセスマレウスとプリンセスレオナが、プリンセスクズと共に支配者であるヘイナス校長に立ち向かうイベストもできるのではないでしょうか?ダロン・ネフシー画風のカードを実装してください。打倒ヘイナスってスターバタフライの結構初期のエピソードで、整合性とか考えるとどの時期がふさわしいのかな……と思ってたけど、時系列考えなくていいなら……いいじゃん!!!
・ディズニー・チャンネルアニメシリーズのイベントを切に願っているけど、ディズニー・チャンネルやる言うてもキム・ポッシブル先輩とかフィニアスとファーブ先輩とかを差し置いてスター・バタフライが抜擢されることはないんじゃないスか?とも思っている。順番は、いつまでも、待ちます。まずこの列に可能性があることを願っているんです。
7/2(木)
・夕食の献立、コンロが二口なので主菜+汁物+レンチンで作れる副菜、という構築をすることが多いんだけど、それだと副菜からは除外される食材が出てくる。なすとかほうれん草とか。でも今日作ったなすとかにかまの和え物は、なすの調理におけるブレイクスルーだった。こんなんやっていいんだ。しかも美味い。
・メギドの日!!!!!愛しているぞメギド72。豊洲PITにも絶対に行くからな。
・メギド72の好きなキャラは「みんな」です。普段「みんな」というワードを忌避している私が、むしろこの作品のすべての人々(と犬と猫と幻獣)を表すのには、みんな、と言いたくなる。それはメギド72が、その実態は多様な「個」の集まりであることを何度も描いてきたからだと思う。
・メギド72のキャラソンが好きだから、ライブ自体は嬉しく思う。でも、メギド72の物語とまた出会える日を、メギド72を作った人たちにゲーム越しにまた会える日を、私はいつまでも待っている。まあ、someday, againだべな。
・サントラ未収録のメギド72名曲コレクションの名曲をサントラ化してサブスク配信するか、iTunes Storeやbandcampでバラ売りしてほしいと強く思っている。サントラ未収録の名曲の話をする時に、非公式のYouTubeなどを貼らなければいけないのは悔しいものがある。あとその売り上げを今後の展望の足しにしてほしい。
7/3(金)
・『スーパーガール』を見た。べこべこに泣きすぎて頭痛い。絶好調の時もあれば、横になってることしかできないこともあって、そういう時は「耐える」をしている。動けないのがマジでつらいのに。それで、誰かが動けない時は別の誰かが動いてくれる。クリプトン人は確かにめちゃめちゃ強いけど、他の人と同じように他者なしじゃ生きていけない。地球で暮らせば最強かもしれないけど、それってシャバいしたまに赤やら緑の太陽に当たったって宇宙を飛び回っている方がいい。
・カーラが生まれたところはすごく狭くて、死に溢れていて、でもそこが確かに故郷で、もう戻れなくて、クリプトと一緒にいられればそこが故郷って思うしかない。それが最初は「クリプトさえいればいい」という排他性だったけど、冒険を経てもっと穏やかで安心できる気持ちになっているような気がした。
・カーラの家ってマジで汚いし、おしっこもするしゲロも吐くし、自分ではどうにもならない体調不良もある。それがすごく「人間」で、その上で「いい子じゃなくてもいいから、優しくなくてもいいから善くあろう」という話をしてくれるのが、そういう「人間」でもそれができるはずって信じてくれてるみたいで泣けてくる。
・アクションもすごくよくて、バスの中の瞬間移動ファイトとかすごく良かったし、市街地での戦いもすごく目の前の人をとにかく助ける必死さがあって、ラストバトルはスーパーガールの衣装の象徴的なかっこよさ、あの時ルーシーがロボを解放したからカーラが助かったっていう人と人との補い合いの連鎖もあって、目まぐるしい展開の中で祈るように手を握って見ていた。本当にカーラとルーシーとクリプトがどうなるのか、本当に助かるのかずっとハラハラしていた。
・スーパーガールの衣装のスカートに関して、あくまでクラークのチョイスなんで普段はパンツスタイルで闘ってますというのがそりゃそうすぎる。もし3作目をやるならカーラが着やすいようにアレンジしたスーパーガール衣装も見てみたい。ショーパンとかスキニーとか。
・暫定で今年一番良かったかもしれない。いや良かったっていうより、「食らった」。なんかずっとしんどくて、ずっと悲しくて、ずっとつらくて、それでもやっていく。カーラの過去ってほんと重いしまだそんなに昔のことじゃないのに、冒頭めちゃめちゃ遊び回って、「23歳を最高にするのなんか簡単だよ」って言ってるのが、マジで泣けてくる。生きてくってめっちゃ悲しいけど、それでも楽しむことはできる。あるいは、めちゃめちゃ楽しく遊び回っても、常に悲しみがちらついてる。その両輪が生きていくっていうことなのかもしれない。
・ほんとあの都市のこと考えて、近くまで行こうとしちゃう日もカーラにはきっとあるんだろうな。行ったって助けられないのに。今日も火葬し続けてるのかなって思うんだ。
・あと今回宇宙人デザインとかバスの風景とかクリプトンの葬儀風景とかアートもめっちゃよかったな~~~。かつて美しかったはずの都市が、どんどん荒れ果てて死に満ちていく。その絵的な説得力がすごかった。あとカーラが前半ほぼすっぴん(に見えるメイクだとは思いますが)なのが、スーパーガールの衣装を着た時ほんのり眉とか目元とかきれいになってるのもすごい。衣装と一緒にアイシャドウと眉ライナーも一緒に持ってきてくれた可能性もワンチャンあるけど、心持ちが変わって顔が輝いている感じがする。ルーシーはこどもっぽい肌のつやによるきれいさで眉がちょっと整えられてない感じなのがめちゃかわいい。
・ルーシーは、いわゆる「足を引っ張るこどもキャラ」と捉えられそうな感じはあるんだけど、船は壊せるし密航はできるしかなり身軽だしいざとなればめちゃめちゃに暴れることができる。ルーシーにはルーシー一人分のできることがあって、同時にやりたいことがある。それとそれとが衝突してパニくることもあるけど、それに対してこの映画は「力のない無力なガキがでしゃばるなよ……」なんて視線を向けはしない。
7/4(土)
・増村十七の『進め!白鼻進』と手塚治虫の『ながい窖』を読んだ。たまたま連続して読んだけど、二冊とも「今」の話をしているな、と思った。私がなんか読んだり見たりしたものを「今」に結びつけやすくてすぐこのフレーズ使う気も最近はしてるけど、この二冊は本当に間違いなくそう。『進め!白鼻進』は戦時中の漫画家ががむしゃらに進んでいくうちに戦争に加担してしまう話で、戦前とか戦時中といってもそれってすごく急なグラデーションであることを描いていて、実際に起こっているショックドクトリンや汚いマーケティングを時代背景に馴染ませて登場させることで、今と当時をリンクさせている。増村先生の描く軽薄で必死でピュアで慌ただしい人々が私は大好きなんだけど、そういう人々って善悪どちらでもないはずなのにいつの間にかぬるっと悪や死の側に落ちていく悲しさもあった。『ながい窖』は在日朝鮮人を題材にした手塚治虫の短編に専門家6人が文章を寄せたもので、漫画で描かれた差別が本当にあったこと、今も根強く続いているものがあることを補強していた。『ながい窖』には、主人公もまた差別に加担してしまうシーンがある。『進め!白鼻進』もそうだけど、でっかい抗えない構造があるなかで、誰かに傷つけられる・負かされる恐怖と、誰かを傷つける・倒す痛みと、天秤にかけて後者を選んでしまう。いや、実際には大多数の人は天秤にかけている意識もない。「何もしないをする」ことの難しさみたいなものを考える。自分の高校生とか大学生頃の言動を思い返すと顔から火が出る思いがする。でも、立派な人間じゃなくても、差別に加担しない、抗う選択肢を模索しないといけない。例えば参政党の言ってることはマジで最悪って職場とかで言うとか。
