週報(6/8~6/14)

6/8(月)

・アジはやわらかい。イサキは皮がかたい。先週の月曜日はアジの塩焼きを焼いて崩落し、今日はイサキの塩焼きを焼いた。まるごとの焼き魚って食べる過程が解剖そのものだ。骨は平面じゃないし、卵巣があることもある。生き物を食べた。

・今日もドゥームスクロールして凹んでる。ほんとうに殺された人がいる。生きていけないと感じている人がいる。それなのに「今のままでいい」「悪くなるはずなんかない」と言い続ける。それを見過ごしている自分は悪くないと思いたいから。他者の怒りや悲しみがそこにあることを認めることができないから、他者の怒りや悲しみの原因ごとないことにしようとする。そういう人をたくさん見た。そういう人に届くようにするならなおさらご機嫌に♡ハッピーに♡でも素敵なコンテンツは使わずに♡やらないと伝わらないよ♡という意見もよく見るけど、果たして本当にそうなんだろうか。変わらずに済む、行動せずに済む言い訳を与えてるだけなんじゃないのか。

・週報に私基準で政治的なことや過激なことを書く時は一応家族にチェックしてもらってるんだけど、デモに行った時の週報で、「革マル派のチラシを受け取っちゃったことはわざわざ書かなくていいんじゃないか」と言われた。でも、デモって楽しくてハッピー♡なだけの場ではなくて、怖い団体(と思っている)だっているし、もっと怖い経験をすることだってあるかもしれない。でも、行こうと思ったなら行くんだよ(デモだけに)ということを伝えたくて、あえてカットしなかった。怖いにしても、私は身軽で健康……じゃない時もあるけど健康な時もあって、どうにか帰って来られそうだし。職を失う心配もまあないし。なんかやった感が欲しいし。甥とか姪とかに戦争をする国を残したくないし。甥や姪とおなじ子供たちに苦しんで死んでほしくないし。みんな一つ!とかみんな同じ!……じゃ、ないことをむしろもっと見に行った方がいいと思う。色んな人がいて、色々考えてることは違うはずで、それでも一個だけ同じ目的のために同じ時間同じ場所(※最近は全国各地で連動してるデモとかもあります)にたまたま集まった“だけ”の人たちを。

・スターウォーズの世界って人間と獣の境はどこにあるのだろう、と思う。多分意志疎通とかの知性なんだろうけど、『マンダロリアン&グローグー』の闘技場の猛獣たちはそれなりに状況判断ができていたよね。『マンダロリアン』ドラマを見始めたんだけど、では「赤ちゃん」のグローグーがあの埃っぽい倉庫でどのような扱いを受けていたのかと、思いを馳せてしまう。

6/9(火)

・トレリド版ワンドロワンライお題『無垢』でどうしても書きたくて、大大大遅刻ながら、書いた。コインをいれるとうごうごする子供用のツムの乗り物、また書きたいな~。

・ドブカスSNS(X)でいつか書いた気もするけどツムツムの本家アプリのBGMって一ループが短くてブツ切れで、古いダイエーのゲームセンターというには子供っぽいキッズコーナーで鳴ってそうな感じがするんだよな……。ああいうデパートとかのキッズコーナーってリミナルスペースっぽくてなんかよくて、そういえば『リミナルスペース 新しい恐怖の美学』でキッドコアとかドリームコアとかについて言及された箇所がよかったな……あそこでアネモイア(自分が直接経験していない時代へのノスタルジア)についても言及されていたな……と思ってこういう話になった。

・仕事してたらいきなりブラヒモが外れてTシャツの袖から飛び出て思い上がった私への罰かと思った。

・マイケル・ジャクソンの『They Don’t Care About Us』を聴く。曲もかっこいいんだけど歌詞がめっちゃ「政治的」で、「今」すぎる。この曲で歌われているようなことは全然変わってないどころか悪くなるばかりで、本当にやるせなく思う。

・とたけけさんって元ネタのある曲もたくさんあるけど、マイケル・ジャクソンモチーフの曲ってそういえばないね。『けけポップス』みたいな……。

・吾妻香夜『親愛なるジーンへ』を読み、号泣。『ラムスプリンガの情景』のスピンオフだけど、時代への取材力というか説得力や漫画のうまさが更にパワーアップしていて、長くてめちゃめちゃいい映画を見たときと同じ脳の疲れ方をしている。書斎の窓辺が繰り返し書かれて、赤毛のジーンがそこにいたこと、もういないことがずっと強調されて、ラスト。ありふれた若者の思考、よくあること、でも、そんなあなたの存在が他者の人生の中でめちゃでかいのだという話で、めちゃくちゃいいテーマだった。ジーンとトレヴァー二人とも掛け値なしにいい人で、表情豊かで、あーーーもう書いててずっとジーンをカナダに送り出すトレヴァーみたいな顔で泣いちゃう……

6/10(水)

・シソの鉢にいたもう一匹のサナギがいつの間にか空っぽになっていた。知らないうちに旅立っていることもある。あとは蜂に集られてた子だけだ。レモンの方はもう一回花咲かせようとしてるんだけどこれも剪定した方がいいのかな~。

・キム・チョヨプの『この世界からは出ていくけれど』読み終わった。SFのサイエンスが、人と人の繋がりや断絶を書くためにずっと使われてて、誰かが既存の社会の枠組みを様々な形で去ってしまう話ばかりなんだけど、悲しいだけじゃなくて「大好き」という気持ちがいつも一緒にある。『最後のライオニ』や『ブレスシャドー』は電車で読んでて泣きそうになった。

・『ローラ』も『マリのダンス』も『ブレスシャドー』も、同じ感覚を共有できない人の話をしていて、『ローラ』は他者の身体に対する感覚をその人のものとして尊重する結論の話だと思った。シスにトランスの感覚はわからないけど、だからといってそれを間違ってると言うことがなんでできるのか?みたいな。『マリのダンス』は感覚の違いを“できる”“できない”みたいなものとして捉えてしまうと相手の持っている世界を見くびってしまうという話だと思ったし、マイノリティがひたすら孤独な『ブレスシャドー』は、マイノリティが外の世界に同じ感覚のひとを求めて一旦去ってから、置いていった人とやっともう一度少し繋がれるみたいな話だと思った。『ブレスシャドー』では“できる”“できない”の流動性についても触れていて、アクセシビリティとか、同じ情報にアクセスする裾野が、もう少したくさんの人によって広げられていたら二人は離ればなれにならなくて済んだのかな、それともどこまで手をつくしても違いは違いで、結局人はどうしても離れてしまうのかな、と思った。

・『認知空間』は感覚の話からは一歩進んで、もっと具体的に情報へのアクセシビリティの話と、均一化されたディストピアの話をしていたと思う。SNS上でデマはあっという間に広まるけどデマを訂正する情報はほとんど拡散されないみたいな事例を思い出した。知らないことが救いである『古の協約』とは対照的なようでいて、膨大な知識にアクセスしているつもりで実際にはたくさんの情報が切り捨てられているのは、根本的に同じ話なのかもしれない。

6/13(土)

・漫画の積ん読をやっと全部読み終わってすっきりした~!小説と普通の本の積ん読はまだめっちゃあります。積ん読を消化すると漫画の整理タイムが始まる。完結済み漫画を本棚から入れと庫にアーカイブしたり、それで空いたスペースを調節して未刊漫画がなるべく散り散りにならないようにする。探せども探せども見つからないけどどっかにピンで差したか……?と思っていた漫画の抜けた巻が、注文履歴を調べたところそもそも買っていなかったことがわかったりした。

6/14(日)

・TASTE THE WORLDでスウェーデンの朝ごはんプレートを食べる。家族はイギリスのフルブレックファストを食べていた。「産業革命時の労働者が朝からたくさん食べてエネルギーをチャージするために食べたのが始まりと言われています」という説明がされていたんだけど、へとへとに疲れている中朝から適当なもので済まさずしっかり作ってるのすごすぎ……と思った。お店じゃなければ一個のフライパンでガーッと作ったりするのかもしれないけど……。

以下はスウェーデン朝ごはんプレートの感想。

  • ピッティパンナ→じゃがいもとか野菜の炒め物。自分はビーツが大好きだということがわかったので今度見かけたら買ってなんか作ってみたい。
  • レックマッカ→カリカリバゲットのオープンサンドなんだけどめっちゃ丁寧に調理された感じの小エビが乗っている。いや、比較対象がサイゼの小エビしかない人間ではあるんですけど、方向性がそれとは全然違くて優しい味のエビでした。
  • クネッケブロード→クラッカーみたいな超バリバリのパンにゆで卵とたらこペーストが乗っている。レックマッカもだけどスウェーデンってふわふわパンよりもガリガリパンの文化なのかな?たらこペーストが甘辛くてさわやかな感じで美味しい。
  • グロート→オーツ麦ミルク粥withリンゴンベリージャム。一時期朝食にオートミールを白だし入れたり中濃ソース入れたりして食べてたんだけど、それとは比べ物にならない、こなれ具合。
スウェーデンの朝ごはんプレートの写真
このお店、カトラリー(フランス製)にセミがついててかわいい。神戸のプロヴァンス系雑貨屋さんでセミ柄のあづま袋を買ったことがあるんだけど、フランスではセミが何か縁起のいいものとして受容されているのかな~(嬉しい)

……と思ってたら同じように思って調べた家族曰く、このカトラリーメーカーのマークはセミではなく「蜂」らしい。蜂もかわいいけどね!

セムラの写真
セムラ。ブリオッシュとかマリトッツォとか甘パンに属するデザート。クリームがしつこくなくてパン生地がサクふわで美味しい。家族はマジパンが求肥のように被さった「プリンセストータ」を食べていた。一口もらったけどそっちも華やかな甘さで美味しかった。
東京駅ステーションギャラリーのカール・ヴァルザー展の看板

・東京駅ステーションギャラリーのカール・ヴァルザー展を見てきた。日曜美術館の紹介とか「世紀末の昏き残照」っていう副題とかでなんだか暗い雰囲気の作家なのかな、と思ったら確かに暗い色づかいの絵もあるけど明るい絵もあって、デッサンも精緻でゴッホみたいなメンタル不安定感は全然なかった。絵画、挿絵、舞台美術、壁画と大変マルチに仕事をこなしていて、舞台美術のコーナーで「依頼者の要望を汲み取ったうえで自分なりに表現するのに長けていた」という解説があったと思うんだけどまさにそういう仕事的なすごさがある作家なのかな……と思った。本人が何を好きだったかはわからないけど、仕事以外の絵で書いていたバルコニーと、あとはとにかく「人」が好きだったのかな……と思う。でもべったりした好意じゃなくて、特に彼の描く女性はあんまり彼に興味がなさそうな顔をしているな……と思う。展示入り口にあった弟のローベルトの絵はめっちゃあったかくてめっちゃ弟のこと好きだったんだなあ……と思った。それだけに「挿絵は余分」と思っていたローベルトの意向を無視して出版社のせいで挿絵をつけてしまった時、どんな気持ちだっただろう。「えっ今回は本文見せてもらえないんだ」「それローベルトの作品にマッチする絵じゃないけど大丈夫?」「えっローベルトに話通ってなかったの!?」みたいな……。

・あと展示の入り口で「特筆すべきは来日経験があることです」って書いてあった時は日本スゴいに我田引水する気か!?と身構えてしまったんだけど、実際見てみたら本当に日本で描いた作品数多いし、めっちゃ絵がいきいきしてるし、大作も描いてるしで、一コーナーにする価値があって、疑ってゴメン……!と思った。歌舞伎を見て描いた絵とかすごくよくて、舞台美術に携わってた人が楽しんでくれたの嬉しいな~と思った。一方で「日本はアメリカみたいにならないで今のままでいてほしい」みたいな手紙を書いてたのはちょっとえ~~~になったりした。女性の役者が立てない舞台を、女性の衣装デザインもしたことがあるカール・ヴァルザーはどういう風に思っていたのだろう……。

・ショップにジャン・ミッシェル・フォロン展の図録が売ってるのを見て、次展示あったら絶対行こ~と思ったけど、次とかいつあるかわからないんだし図録買っちゃえばよかったのでは……と後悔した。行ったことない展示の図録買うのってどうなんだろう?って思ったけど四の五の言わずに買えばよかった。

・蜂に集られてたサナギからちっちゃなちっちゃな蜂が出てきてやっぱダメだったっぽい……。でもさ、蝶もかわいいけど蜂も本当に小さくて、どっちかに肩入れしたり干渉したりすることが私にはできないよ……。蜂も、何日もサナギに張りついて見張ったりするんだよ~……。